花組THEATER GOER'S

花組芝居の観劇記録、及び花組芝居主宰加納幸和さんのインタビューを掲載しています ※ニフティより移転しました

加納幸和さんに聞く『毛皮のマリー』

かつて「君は女形がいいよ」という寺山修司さんの言葉があり、今も花組芝居で女形を演じている加納幸和さん。寺山さんとは深いご縁がある加納さんが花組芝居で初めて上演した寺山作品が『毛皮のマリー』(2015年12月)。浄瑠璃劇という他では類を見ない公演となりました。

公演終了後、加納さんに『毛皮のマリー』について振り返っていただきました。

 

花組芝居『毛皮のマリー』公演情報(公式サイト)

2015年12月16日~23日 あうるすぽっと

 

***********************************************************************************

――寺山修司作品が数多くある中で、『毛皮のマリー』を上演演目に選んだのは?

 

 正直に言うと『毛皮のマリー』を選んだのは、自分でも「まさか」だったんです。以前、プアハウスという劇団(大学卒業前後に所属)にいたとき(寺山修司版の)『星の王子さま』をやっていたので、それを花組でやるのはどうかなと考えたときはありました。『毛皮のマリー』を選んだのは、(寺山さんの義弟の)寺山偏陸さんに「浄瑠璃で『毛皮のマリー』ができないか」とご提案いただいたのが大きかったですね。

 2年くらい前(2013年)に偏陸さんの演出で『毛皮のマリー』をやったとき、ト書きもすべて読むという形で上演していたんです。その手応えの延長線で「花組なら浄瑠璃でできるだろう」と発想されたんですね。でも、『毛皮のマリー』というと自分の中では美輪明宏さんの演出・主演の「洋物」というイメージがあったので、「浄瑠璃はどうかな」と最初は思ったんです。「(浪花節が入る)『青森県のせむし男』はどうですか?」とも言ったんですが「いや、『毛皮のマリー』のほうがいいよ」と。

 それでご許可をいただいて寺山さんの原作を、浄瑠璃の言葉と実際の台詞のムードを合わせる微調整をしながら脚色したんです。やってみたら、『青森県のせむし男』より『毛皮のマリー』の方がよかったですね。ドラマがしっかりしているので、義太夫には乗りました。

 

――ドラマがしっかりしている、というのは?

 要は、話が単純なんですよ。『毛皮のマリー』は母子の愛憎物語。義太夫の音楽は怒涛のような人間の感情を表現するにはぴったりなので、ドラマチックな『毛皮のマリー』が合っていたと思います。

 

――浄瑠璃部分は鶴澤津賀寿さんが作曲されましたね。

 津賀寿さんは国立劇場文楽の養成所と歌舞伎の竹本の養成所でも教えてらっしゃる方で、ともかく作曲のボキャブラリーが豊かなんです。津賀寿さんは『天変斯止嵐后晴』のときも自在に曲を作っていただきましたので、今回もお願いしました。三味線と太夫さんは相性の良い方というのが、夫婦のように決まっているんですね。津賀寿さんは今は竹本駒之助さんの門下ですが、竹本朝重さん(2008年没)ともお付き合いがあったんです(注・竹本朝重さんはかつて、花組芝居の『怪誕身毒丸』の義太夫を担当された)。朝重さんは(寺山修司さんが主宰する)天井桟敷にも2度ほど若い頃出られたとおっしゃってましたね。朝重さんとゆかりがあるということもあって、今回はお弟子の竹本朝輝さんにお願いしました。

 

――「ホイップホイップ」などの語りが愉快でした(笑)。

 津賀寿さんが「こうして、こうして」とお願いしていたんですが、朝輝さんは大阪の方なんですけど「こんなん難しいわ、できへんわ~」と言いながら、お稽古していらっしゃいました(笑)。

 

――『毛皮のマリー』を浄瑠璃劇化したことで、どんなところが見えてきたのでしょうか?

 

 寺山さんが描きたかった世界が、隅々まで明瞭になったような気がしますね。今は『毛皮のマリー』は美輪さんの専売特許のようになっていて、美輪さんの世界や言葉、体の表現で埋まっていますが、改めて読んでみると、寺山さんが発想した、描きたかった世界があると思うんです。その点では寺山さんの大元の世界がうまく出たんじゃないかなと思います。

 

――今回はダブルキャストでの上演でしたが、配役の意図は?

 実は、僕は脚色しているときから、マリーの役にはどうしても入り込めなくて。偏陸さんにそう話したら、「あなたは美少女の役をやればいい」と言われたんです。『毛皮のマリー』のマリーは(寺山さんの母)はつさんがモデルになっているんですが、美輪さんが綺麗にマリーを演じたものだから、天井桟敷の連中があまりお好みでなかったはつさんが、美輪さんとだけは親しくなったんですって(笑)。「マリーは美輪さんが演じてきれいなイメージになっているけれど、本当はそうじゃない方がいい」とおっしゃるので「じゃあ誰がいいですか?」「それは秋葉(陽司)君でしょう」と。

 それで、秋葉とダブルキャストなら、テクニシャンでキャラが立っているのがいいと、谷山(知宏)にしたんです。

 

――マリー役を秋葉さんと谷山さんが演じることで、美輪さんとは違うものが見えてきた気がします。

 そうですね。そこは距離感を置いて演じられたということかな。役者は役に思い入れがありすぎると、役を突き放して見ることができなくなってしまうんです。マリーという役に距離を置けたことで、二人が思い切ってできたんでしょうね。

 

――演じ方の面で距離を置けたというのもあると思いますが、浄瑠璃化したことで客観性が出てきたというのもあるかなと。

 それは確かにあると思いますね。

 

――顔だけ白塗りにしていたのが、お面のようにも見えました。

 あれは昔懐かしい天井桟敷のスタイルにしようということで、顔だけ白塗りにしたんです。初期の頃はそういうスタイルだったので。

 人間というのは社会生活で家族を演じたり、外に出たら社員を演じたり、女友達の前ではいい母親を演じたりしている。いわば、仮面をかぶって生活しているんですね。「仮面があるからこそ、本物の自分がある」というのは『毛皮のマリー』の一貫したテーマ。顔を白塗りにして、首や手足は演じてる俳優の素肌の色が見えると仮面みたいに見えますよね。それが芝居としての構造にぴったり合うかなと思ったんです。

 

――マリーが育てている「美少年」は対照的な二人が演じました。

 そうですね、秋葉がマリーなら少年役に慣れている(美斉津)恵友に。逆に変化球の谷山には美少年に見えない方がいいだろうと、丸川(敬之)にしたんです。

 

――舞台美術では豪華なシャンデリアの下に、円形を描く定式幕が透けるようなものであったのも、印象的です。

 全体的には天井桟敷で初演の『毛皮のマリー』をやったときのように、何もないところにぽつんぽつんとバスタブやシャンデリアがおいてある、というイメージが元です。初演は当初、横尾忠則さんが舞台美術だったんですが直前で降りてしまって、用意していた舞台美術がなくなった。そこで急きょ美輪明宏さんの自宅にあった調度品を舞台に持ち込んだんですね。必要に迫られてこういう舞台美術になったところもあったけれど、僕はそれがいいかなと思って。今流行っているゴシック調で、シャンデリアやろうそくの光が鏡に映っているという空間にしました。

 額縁のあっち側とこっち側を仕切るための幕でなく、空間の中に取り込んだ形にしたいというのは企画当初から決めていました。透ける定式幕で丸く囲んで、向こう側に鏡に映ったろうそくの鈍い光が見えるようにしたい、と。

 

――それは嘘と真実が透けて見える、ということでしょうか?

 ただ真っ黒な闇ではなく、何層もあってどこまでが奥かわからないものにしたいと思ったんです。

 

――『毛皮のマリー』を上演して、改めて寺山修司さんの作品で魅力に感じたことは?

 網羅されている言葉と「こんな世界を作りたい」というドラマや登場人物のイメージが、きれいにリンクしながら微妙に乖離しているんですよね。青井陽治さんが悲劇喜劇で書いてくださった感想に「寺山さんの言葉は、人物とか戯曲のドラマとは別のものとして耳に聞こえてくる」とあって、確かにそうかもしれないな、と思ったんです。これは大町美千代(劇団プアハウス主宰、寺山氏最後の弟子の一人)に聞いたんですが、寺山さんはあちこちで読んだり聞いたりしていい言葉があったら、それを全部ノートに書き留めていたんですって。それを創作の中にうまく使うんです。「何かが書きたいからその言葉が気になる」というのではなく、ぱっと聞いて「この言葉いいね」と思ったものをうまく盛り込んでいるから、言葉が単独ですーっと入ってくる。それが、言葉だけが浮き上がって来る不思議な世界を作ってくれるんだろうな、と思いました。それは寺山さんが短歌が出発点だからかもしれないでしょうね。短歌というのは万葉のころから「本歌取り」というのがありますから、きっと根っからそういうのがうまいんでしょうね。言葉が持っている重層的なイメージをピックアップしてらっしゃるんだな、というのは改めて感じました。

 

――そういう寺山さんの作品を、今度は加納さんが浄瑠璃劇化したわけですね。

 寺山さんが生きてたら、怒られたかもしれない(笑)。

 

――いえ、きっと喜んでらしたと思いますよ!

 ありがとうございます。そうだといいですが。

 

――花組芝居の次回の公演は花組ヌーベルで谷崎潤一郎の『恐怖時代』ですね。

 どうしてももう一度ザ・スズナリで『恐怖時代』をやりたかったんですね。今回は小林大介が最年少というアダルトな(笑)キャスティングでやります。

 

――そして、次回の本公演は『桐一葉』、坪内逍遥が書いた歌舞伎で、あまり上演されていない演目です。

 この作品が最後に完全に上演されたのは戦前じゃないかな。簡略上演でも今から20数年前で、歌舞伎では今上演されなくなっている作品です。

 明治以降、時代考証も装置もリアルにやる作品が上演されるようになったんです(活歴=かつれき)が、それは観客にとっては面白いものではなかった。坪内逍遥も「歌舞伎は、音楽性や身体性を大事にしないといけない」という考え方だったんです。それで、新しい時代にシェイクスピアに対抗できる内容を持ちながら、江戸時代から伝わっている歌舞伎らしい演出を網羅したものを作ろう、という考えで書き下ろしたのが『桐一葉』。

 最初に発表されたときは読本形式でト書きもないもの。それを上演するためにト書きもいれた上演台帳という二種類の『桐一葉』があるんですが、その両方の「いいとこどり」で全場面をやるという企画です。

 

――2016年も楽しみな作品が続きますね。ありがとうございました。