花組THEATER GOER'S

花組芝居の観劇記録、及び花組芝居主宰加納幸和さんのインタビューを掲載しています ※ニフティより移転しました

加納幸和さんに聞く 『桐一葉』

2017年に30周年を迎える花組芝居。記念の年を目前に控えて花組芝居が取り上げたのは、歌舞伎でも全段上演は49年ぶりとなる『桐一葉』です。作者は坪内逍遥シェイクスピア風に描いた歌舞伎作品の全段を加納幸和さんがぎゅっと2時間40分に圧縮し、まさに「花組芝居でなければできない舞台」となりました。

主人公は『真田丸』でも登場する片桐且元。且元の苦渋の選択と豊臣家の滅亡を描く大作です。

加納幸和さんに『桐一葉』を振り返っていただきました(2016年9月30日~10月10日あうるすっぽっとにて上演)。

 

===================================

――『桐一葉』を上演してみて、どんな手応えがありましたか。お客様の反応は?

「原作が会話劇で、戦国物といっても戦闘シーンがあるわけでなし。城内での権謀術数を延々と見せるような地味な作品なので、大丈夫なのかなと思っていたんです。でも、真面目に取り組んだのがよかったのか、お客様からは“久しぶりにネオかぶきらしい作品を見ました”と言われました。大幅にカットした台本は歌舞伎役者だとやりたがらないものになっちゃっているかもしれないけれど(笑)、それがかえってよかったのかなと思いますね」

 

――もっとわかりにくい作品なのかなと思ったのですが、関係性や台詞も含めてわかりやすかったですね。

「そうですか。使っている言葉は難しいんですけどね。青井陽治さんから昭和47年の国立劇場で上演したた『桐一葉』の劇評を見せていただいたんですが、そこには“人物の掘り下げがされていない”と書かれてあったんですよ。映像で見ると風情があってよかったんですけど、(花組芝居で上演して)そういう“人間の掘り下げがない”というふうになってしまったらまずいなと思いましたね。だから、“今はこういう気持ちで、相手に対するリアクションはこう”というところを大切にして稽古した。坪内逍遥の台詞は実は七五調で書かれているんだけど、歌舞伎の常套句で書かれていないから言い難いんです。その上、今どう思っているのかということを台詞で言わないといけない。“内面を全部見せつつ、それを全部台詞に乗せてくれ”と演出したから、稽古も大変でした。ムードだけでやらないで“気持ちを!気持ちを!”とうるさく言っていたんです」

 

――片桐且元が主人公ではありますが、豊臣家に関わる人々の滅びの物語として集約されていたように思います。

「それは、全段を上演したからでしょうね。カット台本だと逍遥の意図がわからないんです。早稲田文学で逍遥が最初に発表した台本と、2回目に上演されたときの上演台帳を両方読んで、“これは逍遥がシェイクスピアを相当意識して書いているな”というのがわかった。『ハムレット』でも、“生きるべきか、死ぬべきか”という葛藤が全員にある。それと同じように、『桐一葉』の中でもヒステリーを起こす人もいれば自殺する人も、逃げてしまう人もいる。うまく書けている台本だな、と上演して改めて思いましたね」

 

――舞台美術では、豊臣家の桐のご紋が一枚ずつ落ちていくというのが印象的でした。

「且元の奥書院で桐が散っていくというのは『桐一葉』の本外題の元となったものなんです。歌舞伎ですと、桐の葉が仕掛けではらりはらりと落ちていくんですよ。でも、僕らがやるんだったら、豊臣の象徴である桐の紋が一枚ずつ落ちていくというのがいいんじゃないかなと思って。今回の美術のプランナーは古川(雅之)君で、劇団では『かぶき座の怪人』以来で久しぶり。博多座のG2さん演出の『はかた恋人形』に出演したとき、美術が古川君で“またやるよ”と言ってくれたので、お願いしました」

 

――音楽が歌舞伎の下座音楽でありながら、ラテンな雰囲気のものでしたね。

「アレンジはラテンがいいかなと思って、坂本朗さんに編曲をお願いしました。音楽は杵屋邦寿さんにお願いして、昭和42年の国立劇場の下座を参考にしつつ、“大時代にします”ということで古風な選曲にしてくれた。歌舞伎で『桐一葉』を上演するときは義太夫なんですけど、花組では長唄。ラストシーンを大薩摩にして、後ろに大阪城が見えるという壮大なシーンになったのがよかったですね」

 

――確かに壮大なラストシーンでした。

「本来は片桐且元(原川浩明)と木村重成(美斉津恵友)の二人だけが出るシーンで、舞台上で且元が馬上で重成を見送るという、情緒的なんだけど寂しげな終わり方なんです。でも、今回は、カーテンコールをする時間がないというのもあって(笑)登場キャストが皆一緒に滅んでいくというシーンにしました。亡霊になって登場した豊臣秀次小林大介)もそうですが、木村重成も後に滅んでしまうし、生き残った且元も敗北者となる。最後の且元と重成の割台詞は人物皆が思っていることがこの台詞には書かれているんだなと思って、出演者一同で唱和することにしたんです」

 

――且元の物語ですが、群像劇でもあるんですね。

「そうですね。且元は主人公だから文字数的には多いんですけど、他の登場人物も出番が均等なんですよ。且元が出ずっぱりというわけでもないし、他の役もそう。逍遥がバランスよく書いてるなと思いましたね。人物の配置の仕方が上手なのかな」

 

――その中には、印象に残るキャラクターも多数出てきます。たとえば、珍柏(丸川敬之)もインパクトがありましたね。

「いわゆるシェイクスピアの道化なんですけど、『ハムレット』のポローニアスのパロディでもある。逍遥はとても知的なパロディをしていると思う。子供の頃から歌舞伎を見ていて、歌舞伎の何もかも知っているんですね」

 

――登場人物の中では加納さんが演じる淀君が印象的です。

淀君の役でいうと、本当は(同じ坪内逍遥作の)『沓手鳥孤城落月』の方が見せ場があって面白いんですよ(笑)。ただ、『沓手鳥孤城落月』は歌舞伎の演出がよくできているから、花組ではやりたくなくないんですよね。『桐一葉』の淀君はちょっと引っ込んでいる役かなと思ったんですが、実際やってみると、めったに上演されない寝所での修理亮(=大野治長)(押田健史)とのやりとりとか、面白いんですよ。短時間に集中した出番ですが、変化に富んでいて面白かったですね」

 

――加納さんの淀君で、今は歌舞伎でもなかなか見られない立女形が見られたんじゃないかなと思います。

「嬉しいお言葉だけど、ニセ物なんでね(笑)。それが花組芝居キッチュさです」

 

――原川浩明さんは苦悩の片桐且元を演じました。

「原川が演じるとちょっと立派になってしまうから、“悩んでいる男になって”というのは言いましたね。『忠臣蔵』や『菅原伝授手習鑑』と違うのは、『桐一葉』は古典の型がないんですよ。演出が固まってない。歌舞伎をなぞらないで、僕らで作りながら、“そんなに歌舞伎風にしなくても、重厚になった”のが嬉しい収穫でした」

 

――2016年前半は砂岡事務所の若手俳優による『絵本合法衢』の脚本を加納さんが担当。歌舞伎全段を圧縮して上演する試みでした。

「あれもぶっ飛んでましたけどね(笑)」

 

――『絵本~』『桐一葉』と続き、歌舞伎の大作を圧縮して作品の本質を浮き彫りにするという加納さんの作劇術が極まったという印象です。

「自分でもノウハウができてきたという気がしますね。歌舞伎で上演台本を作ってらっしゃる方は出演のお顔触れを考えて、役者が喜ぶようにストーリーをいじるのが彼らの仕事ですが、僕はともかく原作を大事にしながら縮めていって、“ここはちょっと書き損なっているな”というところを修正しながら台本にする。そのノウハウが固まって来ました。これはわりと楽しい作業なので(笑)、これからもやっていきたいなと思います」

 

――楽しみです! さて、2017年は花組芝居30周年の節目の年になりますね。

「30年になっちゃいましたね。10周年のときは“20年は来るのかな”と言っていたのが、20年が過ぎてからはもう“案外30年は行くんじゃないか”という気持ちになっていた。いろいろなことがありましたけど、30周年になりましたね。30年の間に小劇場の状況もどんどん変わってきた。役者もスタッフも皆がついて来てくれていますし、長いことごひいき下さるお客様がいらっしゃるのがありがたいですね」

 

――30周年記念公演の企画も目白押しです。

「2017年は4公演、奮発しちゃいました(笑)。本公演が4つ、稽古場公演とHON-YOMI芝居。大変ですけど、30周年ですから」

 

改めて、30周年おめでとうございます! これからの花組芝居に期待しています。

加納幸和さんに聞く『毛皮のマリー』

かつて「君は女形がいいよ」という寺山修司さんの言葉があり、今も花組芝居で女形を演じている加納幸和さん。寺山さんとは深いご縁がある加納さんが花組芝居で初めて上演した寺山作品が『毛皮のマリー』(2015年12月)。浄瑠璃劇という他では類を見ない公演となりました。

公演終了後、加納さんに『毛皮のマリー』について振り返っていただきました。

 

花組芝居『毛皮のマリー』公演情報(公式サイト)

2015年12月16日~23日 あうるすぽっと

 

***********************************************************************************

――寺山修司作品が数多くある中で、『毛皮のマリー』を上演演目に選んだのは?

 

 正直に言うと『毛皮のマリー』を選んだのは、自分でも「まさか」だったんです。以前、プアハウスという劇団(大学卒業前後に所属)にいたとき(寺山修司版の)『星の王子さま』をやっていたので、それを花組でやるのはどうかなと考えたときはありました。『毛皮のマリー』を選んだのは、(寺山さんの義弟の)寺山偏陸さんに「浄瑠璃で『毛皮のマリー』ができないか」とご提案いただいたのが大きかったですね。

 2年くらい前(2013年)に偏陸さんの演出で『毛皮のマリー』をやったとき、ト書きもすべて読むという形で上演していたんです。その手応えの延長線で「花組なら浄瑠璃でできるだろう」と発想されたんですね。でも、『毛皮のマリー』というと自分の中では美輪明宏さんの演出・主演の「洋物」というイメージがあったので、「浄瑠璃はどうかな」と最初は思ったんです。「(浪花節が入る)『青森県のせむし男』はどうですか?」とも言ったんですが「いや、『毛皮のマリー』のほうがいいよ」と。

 それでご許可をいただいて寺山さんの原作を、浄瑠璃の言葉と実際の台詞のムードを合わせる微調整をしながら脚色したんです。やってみたら、『青森県のせむし男』より『毛皮のマリー』の方がよかったですね。ドラマがしっかりしているので、義太夫には乗りました。

 

――ドラマがしっかりしている、というのは?

 要は、話が単純なんですよ。『毛皮のマリー』は母子の愛憎物語。義太夫の音楽は怒涛のような人間の感情を表現するにはぴったりなので、ドラマチックな『毛皮のマリー』が合っていたと思います。

 

――浄瑠璃部分は鶴澤津賀寿さんが作曲されましたね。

 津賀寿さんは国立劇場文楽の養成所と歌舞伎の竹本の養成所でも教えてらっしゃる方で、ともかく作曲のボキャブラリーが豊かなんです。津賀寿さんは『天変斯止嵐后晴』のときも自在に曲を作っていただきましたので、今回もお願いしました。三味線と太夫さんは相性の良い方というのが、夫婦のように決まっているんですね。津賀寿さんは今は竹本駒之助さんの門下ですが、竹本朝重さん(2008年没)ともお付き合いがあったんです(注・竹本朝重さんはかつて、花組芝居の『怪誕身毒丸』の義太夫を担当された)。朝重さんは(寺山修司さんが主宰する)天井桟敷にも2度ほど若い頃出られたとおっしゃってましたね。朝重さんとゆかりがあるということもあって、今回はお弟子の竹本朝輝さんにお願いしました。

 

――「ホイップホイップ」などの語りが愉快でした(笑)。

 津賀寿さんが「こうして、こうして」とお願いしていたんですが、朝輝さんは大阪の方なんですけど「こんなん難しいわ、できへんわ~」と言いながら、お稽古していらっしゃいました(笑)。

 

――『毛皮のマリー』を浄瑠璃劇化したことで、どんなところが見えてきたのでしょうか?

 

 寺山さんが描きたかった世界が、隅々まで明瞭になったような気がしますね。今は『毛皮のマリー』は美輪さんの専売特許のようになっていて、美輪さんの世界や言葉、体の表現で埋まっていますが、改めて読んでみると、寺山さんが発想した、描きたかった世界があると思うんです。その点では寺山さんの大元の世界がうまく出たんじゃないかなと思います。

 

――今回はダブルキャストでの上演でしたが、配役の意図は?

 実は、僕は脚色しているときから、マリーの役にはどうしても入り込めなくて。偏陸さんにそう話したら、「あなたは美少女の役をやればいい」と言われたんです。『毛皮のマリー』のマリーは(寺山さんの母)はつさんがモデルになっているんですが、美輪さんが綺麗にマリーを演じたものだから、天井桟敷の連中があまりお好みでなかったはつさんが、美輪さんとだけは親しくなったんですって(笑)。「マリーは美輪さんが演じてきれいなイメージになっているけれど、本当はそうじゃない方がいい」とおっしゃるので「じゃあ誰がいいですか?」「それは秋葉(陽司)君でしょう」と。

 それで、秋葉とダブルキャストなら、テクニシャンでキャラが立っているのがいいと、谷山(知宏)にしたんです。

 

――マリー役を秋葉さんと谷山さんが演じることで、美輪さんとは違うものが見えてきた気がします。

 そうですね。そこは距離感を置いて演じられたということかな。役者は役に思い入れがありすぎると、役を突き放して見ることができなくなってしまうんです。マリーという役に距離を置けたことで、二人が思い切ってできたんでしょうね。

 

――演じ方の面で距離を置けたというのもあると思いますが、浄瑠璃化したことで客観性が出てきたというのもあるかなと。

 それは確かにあると思いますね。

 

――顔だけ白塗りにしていたのが、お面のようにも見えました。

 あれは昔懐かしい天井桟敷のスタイルにしようということで、顔だけ白塗りにしたんです。初期の頃はそういうスタイルだったので。

 人間というのは社会生活で家族を演じたり、外に出たら社員を演じたり、女友達の前ではいい母親を演じたりしている。いわば、仮面をかぶって生活しているんですね。「仮面があるからこそ、本物の自分がある」というのは『毛皮のマリー』の一貫したテーマ。顔を白塗りにして、首や手足は演じてる俳優の素肌の色が見えると仮面みたいに見えますよね。それが芝居としての構造にぴったり合うかなと思ったんです。

 

――マリーが育てている「美少年」は対照的な二人が演じました。

 そうですね、秋葉がマリーなら少年役に慣れている(美斉津)恵友に。逆に変化球の谷山には美少年に見えない方がいいだろうと、丸川(敬之)にしたんです。

 

――舞台美術では豪華なシャンデリアの下に、円形を描く定式幕が透けるようなものであったのも、印象的です。

 全体的には天井桟敷で初演の『毛皮のマリー』をやったときのように、何もないところにぽつんぽつんとバスタブやシャンデリアがおいてある、というイメージが元です。初演は当初、横尾忠則さんが舞台美術だったんですが直前で降りてしまって、用意していた舞台美術がなくなった。そこで急きょ美輪明宏さんの自宅にあった調度品を舞台に持ち込んだんですね。必要に迫られてこういう舞台美術になったところもあったけれど、僕はそれがいいかなと思って。今流行っているゴシック調で、シャンデリアやろうそくの光が鏡に映っているという空間にしました。

 額縁のあっち側とこっち側を仕切るための幕でなく、空間の中に取り込んだ形にしたいというのは企画当初から決めていました。透ける定式幕で丸く囲んで、向こう側に鏡に映ったろうそくの鈍い光が見えるようにしたい、と。

 

――それは嘘と真実が透けて見える、ということでしょうか?

 ただ真っ黒な闇ではなく、何層もあってどこまでが奥かわからないものにしたいと思ったんです。

 

――『毛皮のマリー』を上演して、改めて寺山修司さんの作品で魅力に感じたことは?

 網羅されている言葉と「こんな世界を作りたい」というドラマや登場人物のイメージが、きれいにリンクしながら微妙に乖離しているんですよね。青井陽治さんが悲劇喜劇で書いてくださった感想に「寺山さんの言葉は、人物とか戯曲のドラマとは別のものとして耳に聞こえてくる」とあって、確かにそうかもしれないな、と思ったんです。これは大町美千代(劇団プアハウス主宰、寺山氏最後の弟子の一人)に聞いたんですが、寺山さんはあちこちで読んだり聞いたりしていい言葉があったら、それを全部ノートに書き留めていたんですって。それを創作の中にうまく使うんです。「何かが書きたいからその言葉が気になる」というのではなく、ぱっと聞いて「この言葉いいね」と思ったものをうまく盛り込んでいるから、言葉が単独ですーっと入ってくる。それが、言葉だけが浮き上がって来る不思議な世界を作ってくれるんだろうな、と思いました。それは寺山さんが短歌が出発点だからかもしれないでしょうね。短歌というのは万葉のころから「本歌取り」というのがありますから、きっと根っからそういうのがうまいんでしょうね。言葉が持っている重層的なイメージをピックアップしてらっしゃるんだな、というのは改めて感じました。

 

――そういう寺山さんの作品を、今度は加納さんが浄瑠璃劇化したわけですね。

 寺山さんが生きてたら、怒られたかもしれない(笑)。

 

――いえ、きっと喜んでらしたと思いますよ!

 ありがとうございます。そうだといいですが。

 

――花組芝居の次回の公演は花組ヌーベルで谷崎潤一郎の『恐怖時代』ですね。

 どうしてももう一度ザ・スズナリで『恐怖時代』をやりたかったんですね。今回は小林大介が最年少というアダルトな(笑)キャスティングでやります。

 

――そして、次回の本公演は『桐一葉』、坪内逍遥が書いた歌舞伎で、あまり上演されていない演目です。

 この作品が最後に完全に上演されたのは戦前じゃないかな。簡略上演でも今から20数年前で、歌舞伎では今上演されなくなっている作品です。

 明治以降、時代考証も装置もリアルにやる作品が上演されるようになったんです(活歴=かつれき)が、それは観客にとっては面白いものではなかった。坪内逍遥も「歌舞伎は、音楽性や身体性を大事にしないといけない」という考え方だったんです。それで、新しい時代にシェイクスピアに対抗できる内容を持ちながら、江戸時代から伝わっている歌舞伎らしい演出を網羅したものを作ろう、という考えで書き下ろしたのが『桐一葉』。

 最初に発表されたときは読本形式でト書きもないもの。それを上演するためにト書きもいれた上演台帳という二種類の『桐一葉』があるんですが、その両方の「いいとこどり」で全場面をやるという企画です。

 

――2016年も楽しみな作品が続きますね。ありがとうございました。

「花組THEATER GOER'S」ニフティより移転しました

私、大原薫がニフティで作成していたホームページ

花組THEATER GOER'S

花組芝居の公演記録、及び加納幸和さんのインタビューを掲載)。

ニフティが2016年内でホームページサービスから撤退、ホームページが閉鎖になるとのことで、今後ははてなブログ内での公開といたします。

 

第一弾として、加納幸和さんのインタビュー「加納幸和さんに聞く『毛皮のマリー』」を当ブログに掲載。

 

また、以前のホームページに掲載させていただいていた、加納さんの貴重なインタビューも年内をめどにこちらのブログに転載する予定です。

はてなブログでもどうぞよろしくお願いいたします。

 

大原薫